等身大ジャーナリズム

26歳、京都出身、滋賀在住です。

ハイ論破!日本社会の衰退は上司や政治家が話を聞かないからだと思う

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こんにちわ、身軽にブロガーのやっち(@movablevie1)です。

ぼくは三浦瑠璃さんは好きです。 ぜったい頭良いし、変わってます。

しかも他の評論家に比べて、話をちゃんと聞いてると思います。
だからこそ、色んな人から攻撃を受けてるだろうなと思います。

三浦瑠璃「ハイ論破!は有害」「議論する時は同期」「年長者や経験者以外の言論に意味が無い=エリート支配の肯定」

今日、拝借してきたのはこの記事です。

三浦瑠璃さんの記事ですね

blogos.com

内容は、橋本徹さんの慰安婦問題発言や大阪維新の会への意見を、三浦さんが述べているというものです。

しかしこの文章が冒頭にあったので紹介します。

議論とは深めることに意義があり、日本に存在する「ハイ論破!」という文化は有害だなと思っています。
官僚が使う言葉を借りれば「議論するときは同期」という姿勢こそが正しい、と。
若輩者政治経験もないのに、政治家を評論し批判するなど100年早いと言っておられるのでしょうが、それでは議論は成り立ちません。
年長者や政治経験者以外の言論に意味がないというのであれば、それは橋下さんが抗ってきたエリート支配の肯定に等しい。

参考:国際政治学者・三浦瑠麗「橋下さん、維新の可能性を潰さないでください」

この冒頭部分に激しく同意しました。

若いね、やったことないでしょ、とまとめる大人

人と人が話し合う時に、えらそうにして聞く耳をもたない人っていますよね。

「まだまだ若いな」「やったことないでしょ?」って。

そういう人ほど、自分しか信じられない臆病者か、肩書きにとらわれる媚び売りのどちらかだと思います。

ものごとの本質を捉えようとしていれば、若者の話でも、未経験者の話でも、聞く耳を持ちますから。

それが議論の場であれば、聞く耳を持たない人間こそ、その場に必要ないです。

というか組織に必要ないです。

です。

議論は深めるためにある

議論は深めるためにある、つくづくそう思います。

誰かを倒すために議論はありません。

誰かを罵るために議論はありません。

ある目的を達成するために話し合って最良の方法を探るのが議論だと思いますがこれは違うんですか?

意見の対立があって、両方とも優れていたとしても、それはそれでいいじゃないですか。

どちらが目的を達成するためにはふさわしいかを話し合えばいいだけです。

間違っても「あいつには経験がないですから、しかもまだ若いですし」なんて、言うものじゃないです。

本質から外れていってます。

本質は「目的を達成するための最良の方法はどちらなのか」です。

どちらのプレゼンに勢いがあったかじゃないです。

どちらのプレゼンが丸め込まれていたかじゃないです。

どちらのプレゼンが勝っていたかじゃないです。

感想

本質を見極めましょう。

ぼくがこうしてブログに書いていることにすら「若造がなんか言ってるぞ」って思う人はいるかもしれません。

思うのは自由ですが、思った人は成長しません。

それどころか社会の害になり得ます。

イノベーションは既存の技術の組み合わせだって誰かが言ってました。

「既存の技術」とは「経験」、「経験」は「十人十色」です。

その10個の色の組み合わせでイノベーションが起こるはずなのに、組み合おうともしない大人がこの世には多すぎると思います。

日本の衰退は「少子高齢化という自然現象」みたいな押し付け方をしている人もいますが「話を聞かない大人の増加」も大きな要因だと思います。

 

 

著・三浦瑠璃のオススメ本

  1. 日本に絶望している人のための政治入門 (文春新書) 
  2. シビリアンの戦争――デモクラシーが攻撃的になるとき