政府と大企業の会議のための会議とは?東京五輪ボート会場の決定後の話
今日はこんなニュースを。
ざっくりいうと
- 小池百合子さん邁進中
- 東京五輪のボート会場の見直し提案書を受け取る
- 提案書の中身はどう決めたの?公の場で議論すべき
- 調査チームがブラックボックス
とのこと。
この話と絡めたいのが日本社会によくある「会議のための会議」についてです。
会議のための会議って・・・時間もったいないですよね。色んな損失出るのにwww
会議ってそもそも何?
会議の定義
まず会議ってそもそもなんなの?ってことです。
コトバンクより引用してきました。
合議体の構成員が一堂に会し,一定の事項 (議題) について,互いに意見と情報を交換し合って審議を行い,最良の施策を見出そうとする会合またはそのための組織をいう。
つまり、会議とは話し合うためにあるんですよね。
だから最良の施策を見出すためなら、「事前の」とか「打ち合わせの」ではなく、会議そのものの中で話し合うべきだと思うんです。
会議のための会議があったら、そのあとの会議は報告会だな。
信用や関係の失墜
そこで、もし会議のための会議が必要なんだとしたら、そのあとの会議は「ただの報告会」です。
会議のための会議で有識者や意思決定者を交えて話していたのであれば「もうその人たちで勝手にやれば?」とあとでやる会議の参加者は思います。
それでモノゴトが上手く行ったとしても、組織内のシンヨウやカンケイは上手く行かなくなるでしょうけどね。
てか報告会はメールでやればいいじゃん
というか、そもそも会議のための会議をやるくらいなら、そのあとの会議っていらないですよね?笑
会議のための会議で「有識者や意思決定者を交えて話し合ってる」んだから。
だったらそれ以外の人には、話し合ったことと決まったことをメールしておけばそれで完了。
仰々しい議事録も必要ありません。
何百人が入るような大きな会議室も、スケジュールを合わせる時間も全部無駄です。
まあそういうことを繰り返しているうちに「人の歯車」化が進んで行くんでしょうけど。
他にもこんな事例があるそうです・・・
新・リーダー論(佐藤優、池上彰)より
最近読んでいる本にこんなものがあります。
Amazon:新・リーダー論 大格差時代のインテリジェンス (文春新書)
池上彰さんと佐藤優さんの対談形式、ディスカッション本。
その中で、佐藤さんがこんなことをおっしゃっています。
民主主義が機能不全に陥っている状況を受けて、民主主義を迂回するさまざまな形態が生まれています。
その一つが「諮問会議」です。
日本では小泉政権の頃から「経済政策諮問会議」が政策決定に大きく関与するようになりました。
こうした位置づけの曖昧な会議で重要な政策の中身が決定されているのです。
これでは「民主的な手続きに則っている」とは言えません。
激しく同意です。
すくなくとも民主主義的ではないですよね。
ただ1つ言えば、会社は民主主義ではダメな気もするんで、民主主義的制限君主制?とでも言うのかな?
これはわからないです。
然るべき時にはトップが強権を振りかざす必要があると思うので。
感想と評価
結局、人間は権力を持つと好きなようにやりたいってことなんですかね?
それはわからなくもないですが、巻き込む人のことを考えてからやる必要はありますよね。
権力を持てば持つほど、自由にする裁量が与えられる。
でもその自由の裏には責任があるってね。
自分一人、組織一つの問題じゃないんですよーっと。