教職課程を辞めた僕が英語塾を開きたいと思ったわけとは
こんばんわ。身軽にブロガーのやっちゃん((@movablevie1) | Twitter)です。
僕にはいま、3つの夢があります。その1つは、
自分の英語塾を開くことです。
高校の英語の授業に違和感を持った
英語ができた高校時代の僕
まず始めに。
ぼくは英語の成績はずっと五段階の5でした。
中学からずっとです。
ただその理由は今でも分かりません。なんか英語がわかったんです。
そんなぼくが英語の授業に違和感を持ったのは高校の頃。
僕の高校は高2になっても高3になっても、ずっとリーディングの授業をしていました。
そこで英語ってなんのためにあるんだっけ?と考えるようになっていました。
で、自ら導きだした答えが、「英語は人とコミュニケーションをとるためにある」ということ。
自分の中では筋が通っていました。
だからこそリーディングばっかりしている授業に対して違和感を感じてしまったんです。
先生に詰め寄った
ある日、僕は先生に詰め寄りました。
「先生、英語の授業はなんでリーディングとかライティングばっかりなんですか?もっとコミュニケーションをとるような授業をすべきだと思うんです。だって英語は人とコミュニケーションをとるためのものでしょう?」
今思うと、ものすごく生意気な高校生ですが当時の僕はこんなんだったみたいです。
でも先生から返ってきた返答は意外なモノでした。
「そうだけどね、それはわかるんだけど、こうしないと大学受験の範囲が終わらないの。そして一年間の授業数は決まっているから、その間に教科書を終わらせないといけないの。」
(えっ、あーそういうものなんだ。)
と高校生ながらにぼくは思いました。
大学生の時の転機
モヤモヤ教職課程
高校時代、そこで受けた衝撃はまあまあなものでした。
ただ、それが現実なのか、と思わされたんです。
でも当時のぼくは英語ぐらいしか得意なものはなく、また部活で副部長だったということもあり、人に何かを教えるのが好きなんだな〜と思っていました。
なので僕の将来の夢は「英語の先生」に決めていました。
その後、僕は大学に入り、英語科の教職課程を履修します。
でも、頭の中にはモヤモヤ・・・
「結局、先生になっても、大学受験と指導要領の範囲に苦しめられるんだな」なんて思っていたのです。
責任の重みが半端ないバイト
そんな時に見つけたのが、塾講師のバイトでした。
そこの塾は生徒にも講師にも押しつけをしない、自主性を育てることをモットーとしていた塾でした。
そこでさせてもらったのが、「自分なりの授業スタイルを作ること」と「生徒への指導案を作ること」でした。
つまり自分がベストだと思う方法で教えていいと言ってもらえたのです。
ただし、これは責任重大。
範囲が終わらなかったり生徒の成績を著しく下げたりすれば、クレームどころではありません。
こちらも必死です。
バイトなのに1時間早く来て準備して(ノーギャラ)、2時間残って帰る(ほぼノーギャラ)、家に中学生向けの教科書を持ち帰ったり、大学の授業中に指導案を考えたりしてました。
幸い、生徒の成績を落とすことはありませんでした。
のちに教室長から学習意欲が高まった生徒もいたと話を聞きました。
結果としては及第点ぐらいのモノだったのかもしれません。
でもそれは本当に楽しかった。
やってよかったと思えたのです。
教職課程を辞めて、英語塾の先生になろう
その後、教職課程は辞めました。
そして塾の先生になろう、そう思いました。
理由は塾講師の方が制限無く、自分の責任感と実力が試される場所だと思えたのです。
でも講師のままでは、結局その塾の方針に従う必要がありますもんね。
なら自分で塾を作っちゃえ!!って思っちゃったんです。
自分が目指す英語教育とは、「大学受験があるうちは文法授業はしないといけないと思う、けど英語の本質はコミュニケーションのためのものだ。それを意識させる英語教育」です。
それを実現させるには自分でやる他に、方法はないだろうと思いました。
というわけで、僕の将来の夢の1つに、「自分の英語塾を開く」ということが追加されたわけです。
終わりに
僕は生徒に英語を勉強する理由を「大学受験のため」とか「指導要領で決められているから」とは言いたくありません。
また、大学受験からは英語科がなくなっても良いと思っています。
学習の動機を受験にしたくないんです。
素直に「英語を勉強して喋れるようになれば世界が広がる」ということを伝えたいんです。
それに魅力を感じた生徒なら、大学受験に英語科がなくても、勉強するはずですから。
・・・てなわけでやっぱり学校の先生には向いてないですね。笑