等身大ジャーナリズム

26歳、京都出身、滋賀在住です。

僕の好きなこと・・・教育の仕組みづくり

その日は人を教育することに関して話し合う機会がありました。

そこで思ったこと、気づいたことを書こうかと思います。

教育の質は教育者が学習者に対して投げかける言葉に依る

教育の質は教育者が投げかける言葉に依る というのも、

人のやる気を出す言葉掛けと人のやる気を損なわせる言葉掛けってあるんですよね。

それって相手の立場になって考えてみればわかると思っていて、自分がされてイヤなことは基本的に相手もされたらイヤなんですよ。

だから言われてイヤなことは言わない、言われたいって思ったことを言うようにすればある程度は解決するんじゃないかな〜と。

人間、やる気があればたいていのことは何でもできますよね。

やる気が無いことをやるのがイヤなわけで、やる気さえ出せれば完成度のうんぬんはともかく、完了させることは可能なはずです。

じゃあ人を教えることに関して話し合うのって無駄なの? 

これは仕組み化するためには必要じゃないかって思ってます。

仕組み化

どんなに教育する側がすごい人でも、教育する人が毎回違う人になったら意味が無いですよね。

それは企業研修においても、学校教育においても、完全に同じ人なんていないですからね。ということは人によって言うことは変わりますから効果的な教育はできない。

なのでまずは教育する側の固定化が必要なんじゃないかなって思います。

同時に教育される側も固定した方が良いですよね。

そして、もし教育する側の固定化ができないのであれば、

教育する側の意識の共通化=教育目標の共有が必要ですよね。そうすれば大きなズレは無くせるのではないかと思います。

その共有をどうしたらできるのか を考えるのが好き

こう考えたくなるってことは、教育に興味はあるけど、どう教育するかではなくどうしたらみんながその教育をできるようになるかを考えるのが好きなんだなって思いました。

というのは、ぼくからしたら全然興味がないんですよね。

だって、「どう教育をするか」なんて、「学習者が意欲を持って成長するように教育する」って感じでいいじゃないですか。

もっと良く言うこともできますし、まして教育方法なんて人それぞれがベストなんですから、そんなのは話し合う時間の無駄だと思います。

だから企業でも学校でも考えなきゃいけないのは、「学習者にどうなってほしいか」です。

学習者にはこちらが求める到達目標をしっかり伝えなきゃいけない。

その到達目標はどういうレベルなのかも伝えなきゃいけない。

そして教育者側はその到達目標に到達できるように体制を整えなきゃいけない。

その体制作り=仕組み作りだと僕は思うんです。

 

もっと考えないと行けないかな。