等身大ジャーナリズム

26歳、京都出身、滋賀在住です。

させられることがない時間をうまく使うには目的が必要だ

 

今日はセネガルのダカール、ワカムという街をウロウロしていた。

ワカムはぼくが暮らしているゲストハウスがあり、多くの移住者が住んでいる場所であり、富裕層のいる街だと言われている。

 

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そんな街をウロウロしながら、八百屋、肉屋、市場、レストランなどイロイロな商店に顔を出してみた。

 

 

 

「アッサラームマレークン!」

「サバ?」

「ビアン、メルシー」

 

「ナンガデフ?」

「ヤンギノース?」

「トゥーティレック」

 

これらはウォロフ語の挨拶の言葉たち。

この国は挨拶が多くて少し困る。

 

そしてほんとに困るのはその次だ。

お店に来たのはいいけれど、買いたいものなど何も無いのだ。

 

ぼくが興味があるのは「雰囲気」と「生活」で、「実際の物欲」が薄い。

街をウロウロして、店をウロウロして、市場をウロウロして、・・・でなにも買わない。

店員からしてみれば「なんだこのアジア人は? ヒマなのか?」と思われていることだろう。

 

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そして話が弾んでしまったときはまた少し厄介。

ついつい「ニャータ?」と言ってしまう。

 

「ニャータ?」は「いくらなの?」という意味。

 

買う気になったのかな?と思わせるのはとても心が痛む。

買う気などないから。

なんだか店員に申し訳なくなる。

 

そんなときに考えてしまったのが「ああ、おれにもなにか目的があればなあ・・・」ということ。

 

目的があればお店に行ったって楽しい。

目的があれば市場でたくさん質問したってヒマじゃない。

目的があればウロウロせずともまっすぐ歩いて行ける。

 

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やっと気付いた。

 

「させられることがない時間をうまく使うには目的が必要だ」と。

 

その目的はなんだって良い。

ただし、具体的な目的の方がより良い。

 

良いカフェを見つけるため、に街をウロウロする、

それなら「カフェの値段は?」「立地は?」「メニューは?」「Wi-Fiは?」などという感じ。

それが絞ってあれば、誰かに質問するときに話が進みやすい。

 

そして目的があれば、勇気が出る。

いや勇気が出るというか、そのために来たのだから、という気持ちになる。

ただウロウロしているだけのぼくの場合、その勇気的なものは申し訳なさに負けてしまう。

 

「そんなこと誰でも分かってるよ!!」

 

なんて言わないでほしい。

ぼくだって改めて思ったのだから。

 

そう考えるとただウロウロするのも難しくなってきた。

ぼくの場合は、だけれど。

 

今日は土曜日、いまは4月16日の夕方5時。

日本はすでに4月17日だ。

9時間だけお得になったこの時間を使って、日曜日のプランでも立ててみようかな。

 

どうすれば、ぼくの興味のあるものにたどり着けるだろうって。

 

 

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