させられることがない時間をうまく使うには目的が必要だ
今日はセネガルのダカール、ワカムという街をウロウロしていた。
ワカムはぼくが暮らしているゲストハウスがあり、多くの移住者が住んでいる場所であり、富裕層のいる街だと言われている。
そんな街をウロウロしながら、八百屋、肉屋、市場、レストランなどイロイロな商店に顔を出してみた。
「アッサラームマレークン!」
「サバ?」
「ビアン、メルシー」
「ナンガデフ?」
「ヤンギノース?」
「トゥーティレック」
これらはウォロフ語の挨拶の言葉たち。
この国は挨拶が多くて少し困る。
そしてほんとに困るのはその次だ。
お店に来たのはいいけれど、買いたいものなど何も無いのだ。
ぼくが興味があるのは「雰囲気」と「生活」で、「実際の物欲」が薄い。
街をウロウロして、店をウロウロして、市場をウロウロして、・・・でなにも買わない。
店員からしてみれば「なんだこのアジア人は? ヒマなのか?」と思われていることだろう。
そして話が弾んでしまったときはまた少し厄介。
ついつい「ニャータ?」と言ってしまう。
「ニャータ?」は「いくらなの?」という意味。
買う気になったのかな?と思わせるのはとても心が痛む。
買う気などないから。
なんだか店員に申し訳なくなる。
そんなときに考えてしまったのが「ああ、おれにもなにか目的があればなあ・・・」ということ。
目的があればお店に行ったって楽しい。
目的があれば市場でたくさん質問したってヒマじゃない。
目的があればウロウロせずともまっすぐ歩いて行ける。
やっと気付いた。
「させられることがない時間をうまく使うには目的が必要だ」と。
その目的はなんだって良い。
ただし、具体的な目的の方がより良い。
良いカフェを見つけるため、に街をウロウロする、
それなら「カフェの値段は?」「立地は?」「メニューは?」「Wi-Fiは?」などという感じ。
それが絞ってあれば、誰かに質問するときに話が進みやすい。
そして目的があれば、勇気が出る。
いや勇気が出るというか、そのために来たのだから、という気持ちになる。
ただウロウロしているだけのぼくの場合、その勇気的なものは申し訳なさに負けてしまう。
「そんなこと誰でも分かってるよ!!」
なんて言わないでほしい。
ぼくだって改めて思ったのだから。
そう考えるとただウロウロするのも難しくなってきた。
ぼくの場合は、だけれど。
今日は土曜日、いまは4月16日の夕方5時。
日本はすでに4月17日だ。
9時間だけお得になったこの時間を使って、日曜日のプランでも立ててみようかな。
どうすれば、ぼくの興味のあるものにたどり着けるだろうって。
燃え尽きたら辞めればいいじゃん。
— いけっち@配信・発信者サークル代表 (@yacchi10034tw) 2017年4月9日
んで、もう一回やりたくなったらやればいいし、違う他のことに目を向けてみてもいいし。
無理して趣味を続けるってヘンじゃない?
有森裕子 市民ランナーの「燃え尽き症候群」に思う #SmartNews https://t.co/jbUBOxBUJv
パンケーキ∑(゚Д゚)
— いけっち@配信・発信者サークル代表 (@yacchi10034tw) 2017年4月10日
食べたいっ!! https://t.co/joJqnLJXf3