ダカールで見たアジア@北朝鮮協賛のアフリカルネサンスの像
アフリカにはアジア資本がどんどん入っていると聞く。
特に中国がその筆頭なんだそう。
なんでも、セネガルの首都、ダカールから郊外へ延びる道路は中国製らしい。
これが本当かどうかは定かではないが、中国人現場監督を路上で見たと知人が言っていた。
しかしぼくはこっちの国でシノアを見た覚えが無い。
シノアとはフランス語で「中国人」
セネガルではシノアどころかアジア人すら見ない。
日本にいるとき、京都のゲストハウスで働いていたぼくにとって、中国人を見ないというのは新鮮だ。
また日本にいれば、北朝鮮の話題は事欠かない。
ついこないだもトランプ大統領が北朝鮮を非難しているという記事を読んだ。
ミサイル実験の失敗のニュースは日夜飛び交っている気がする。
北朝鮮の報せは日本にいればたくさん拾える。
しかし西アフリカのセネガルにはそんなニュースはないだろうなと思っていた。
セネガルにも報せはあった。
これは北朝鮮も協賛して、作られたモニュメント。
アメリカの自由の女神よりも大きいらしい。
北朝鮮は、モニュメントなど人間の偶像を作る技術が発達していて、世界トップレベルの腕を持つのだそう。
このモニュメントは一大観光地となっていて、多くの人が訪れる。
じっさいに、ぼくが訪れた時も地元の中学生、小学生が遠足に訪れていた。
そんなセネガルの子ども達は、将来、中国や北朝鮮に感謝する心を持つかもしれない。
インフラを整備してくれたり、これだけ大きなモニュメントを作ってくれた国なのだから。
それを聞いて、どう思うかは人それぞれだと思う。
ぼくは「外交とはこういうものなんだろうな」と思ってしまった。
恩を売り、義理を立てる。
こういう言い方をするとまるでヤクザのような物言いになる。
けれど人間関係っていうのは実はそういうものかとも思う。
むしろ義理を押し付けようとする人のほうがぼくは苦手だ。
「あのときこうしてやっただろう? なあ?」
こういう言葉ははじめからリターンを求めている人が出す言葉。
げに浅ましいと思う。
恩なんか売りさばいてしまえば良いじゃん。
自分ができることを精一杯やって、あとは忘れればいいじゃん。
忘れた頃に「あのとき世話になったんで」と言ってもらえることほど嬉しいものはないし、世話になった側も改めて見直すだろう。
書面で示された規約も大事だけど、義理人情だって同じくらい大事だ。
人間社会で生きる以上、そこは避けて通れない道なのかもしれない。
飛行機で18時間。
海と大陸の向こう側でアジアを発見した時には、そんなことを考えていた。