等身大ジャーナリズム

26歳、京都出身、滋賀在住です。

いまの日本で最も不幸なのは「意識高い系の20代」である

 

youtubeで「堀江貴文 伝説のスピーチ」と検索すれば以下の動画が出てくる。

 

youtu.be

 

この動画は近畿大学の卒業式で、堀江さんがおこなったスピーチ。

その中でも特に印象的な言葉がこれ。

 

未来を恐れず、過去に執着せず、いまを生きろ

 

この言葉は多くの人に響いたはず。

おれも「卒業式にピッタリだな〜」と思った。

 

しかしおれは、現代の意識 ”低い” 系の20代はすでに『いま』を生きていると思っている。

そして、いまの日本で最も不幸なのは、

未来になんとなくの不安を抱えている意識 ”高い” 系の20代だと考えている。

 

そのことについて話してみる。

 

 

 

大学の友達、高校の同級生と会話すると『いま』を生きていることがわかる

 

きっとおれは意識高い系と意識低い系のあいだに分類される。

 

やってみたいことを追求するために行動を起こす。

会社で働いていたころは、社内の構造改革構想まで練っていたほど。

会議では率先して手を挙げて意見を言っていたし、自分で仕事を作り出していた。

 

しかし、企業内ではともかく、個人で大きなプロジェクトを手がけたことは無い、だから ”あいだ” に分類されると思っている。

 

そして、こんなおれでも友達と会話することがある。

行動を起こすぶん、法人の代表や地域おこしをしている人と話すこともあるけど、大学の友達だったり、高校の同級生だったりと話すこともある。

 

大学の友達や高校の同級生は主観だが ”意識高い系”ではない。

”意識低い系” というと角が立つけど、まあそういうこと。笑

 

そういう人と話をしていると『いま』を生きているなあ、と感じることが多い。

 

なぜか。

未来を不安視している様子も、いまを憂いている様子も無いから。

 

現代の意識 ”低い” 系20代は『いま』を悟っており『いま』を精一杯楽しんでいる

 

おれらのような20代で将来不安になることといえば ”年金問題” や ”日本経済” だろう。

そしていまを憂うことと言えば ”ブラック企業問題”や ”給料” ”休日数” だろう。

 

こういった問題が大きなメディアでは提唱されている気がする。

しかし、現代の意識低い系20代はこんな話は一切しない。

 

「彼氏、彼女はできたのか?」

「スノボーにでも行かないか?」

「明日は休みか?仕事の調子はどうだ?」

「今度、こんなところに旅行に行くぞ!」

 

現代の意識低い系がするのはこんな話。

仕事の話はするが、給料や待遇に対する愚痴など一切無い。

年金やニュースの話題は皆無と言ってもいい。

 

これはつまり、現代の意識低い系20代は

『いま』を生きており、

『いま』の環境に不満を持たず、

『いま』の立場を悟っているからのではないだろうか、

 

とおれは考えている。

将来のことを不安視しても仕方が無い、不満を持てば、愚痴が増える。

『いま』を精一杯楽しんでいるからこそ、こういう会話になるのではないだろうか。

 

いまの日本で最も不幸なのは、ゆるい幸せを享受することもできない「意識高い系の20代」である

 

 

そこでおれはこう考えた。

いま、いちばん不幸なのは意識 ”高い” 系の20代なのではないかと。

 

20代は、寿命という側面で見ればまだまだ死なない。

60年先の未来まで考える必要がある。

そんな先のことなんかわからない、老後はどうしたらいいのか、途中でリストラにあったら・・・、

と意識高い系は不安になってしまう。

 

そして不安に苛まれて「何かをしなければいけない」と躍起になる。

もちろんその「何か」が成功すれば、幸せになるだろう。

 

しかし、その「何か」が成功しなかったら?

その「何か」をするために、犠牲にしたものはどうなる?

むしろ犠牲にしないほうが良いのではないか?

でも犠牲にしなければ「何も」できないままなんじゃないか?

 

心配と不安に襲われて、なんだか焦る。

そんな様子は不幸に感じてしまう。

 

おれが好きな曲に『ソラニン』がある。

その歌詞の一節に

 

例えばゆるい幸せがダラッと続いたとする

きっと、悪い種が芽を出して、もうさよならなんだ

 

”ゆるい幸せがダラッと続くこと” は、恵まれたことだと思う。

でも

”悪い種” のことを心配してしまう意識高い系20代は ”だらっと続くゆるい幸せ” を良しとはしない。

 

そんなことをおれは考えてしまった。

 

感想「それもいいさ、どこかで元気でやれよ、おれもどうにかやるさ」

 

おれの立場は ”意識高い系20代” は日本でいちばん不幸である、ということ。

それが良いのか、悪いのか、意識は低い方が良いのか、

 

どれが正解なのかはわからない。 

ただ不幸を感じるままだと人生はもったいない気がする。

 

最後に、そんな不幸な意識高い系に『ソラニン』の歌詞の続きを送ろうと思う。

 

例えばゆるい幸せがダラッと続いたとする

きっと、悪い種が芽を出して、もうさよならなんだ

 

さよなら、それもいいさ、どこかで元気でやれよ

さよなら、ぼくも ”どうにかやる” さ

さよなら、そうするよ

 

結局、どうにかやらなきゃいけない。

それなら不幸な意識高い系も、もっと楽に生きたほうが幸せなんじゃないかとおれは思う。

 

以上。