等身大ジャーナリズム

26歳、京都出身、滋賀在住です。

薄っぺらい成功者は自分らしく生きる=他人を否定することだと思っている

 

今日は「自分らしく生きること」について考えたい。

 

先が見えない未来、なんとなくの不安、そんな将来を持つ若い人に対して、偉そうに投げかけられる言葉。

それが「自分らしく生きる」だと思う。

 

自分らしく生きるって言葉はとても便利で、多くの人に刺さりやすくて、もやもやした心配を吹き飛ばしてくれる。

それに耳障りがとてもいい。

 

さもいままでの自分が、自分らしく生きていなかったかのように思わされてしまう。

 

 

 

 

 

そんなことはない。

そんなことはうそでしかない。

薄っぺらい成功者がそんな簡単に他人の人生を否定するな。

そんな言葉に耳を傾けさせるな。

 

 

本音をぶちまけることが絶対的に良いことだとおれは思わない

 

自分らしく生きる方法の1つとして「本音を言う」というのがある。

 

確かに本音で話す人は気持ちがいい。

聞いている自分もすっきりするし、そういうのに憧れる人も多いはず。

 

しかし、本音はぶちまけることが自分らしく生きることにつながるとはおれは思わない。

 

本音と建前という言葉がある。

本音は耳障りの良い言葉だけれど、建前は耳障りの悪い言葉だ。

建前と聞くと妙に疑り深くなる、という人もいるかもしれない。

 

だが建前を使うことで何もかもが上手く行くときだってある。

そっちの方がめんどくさくないし、ラクだ。

 

めんどくさくないほうを、ラクなほうを選んでなにが悪い。

 

だからこそ本音を言うことが、必ずしもいいとはおれは思わない。

 

本音を言え!=他人を否定しろ!と命令されているようで、正直迷惑だ

 

薄っぺらい成功者の中には「本音をぶちまけろ!」と声だかに叫ぶ人が居る。

さもそれが幸せだ、さもそれが成功哲学だ、と言わんばかりに。

 

ただおれにはそれが「他人を否定しろ!」と言っているようにしか聞こえない。

他人を否定してなにが良いのか。

他人と揉めた方が良いのか。

 

本音を隠すことのなにがいけないのか。

本音を隠すことが自分らしさという人はいてはいけないのか。

本音は心の中にしまっておくものだと考える人はいてはいけないのか。

 

ものごとが円滑に進むならそっちのほうが良いという人も絶対にいる。

 

そういう人をないがしろにするなよ。

だから薄っぺらいんだよ。

 

本音を必ずしも言わなければならない理由は無い。

自分らしく生きるとは、他人を否定することではない。

イヤなら言わなくていいし、否定しなくて良い。

 

以上。

 

 

追記:おれの自分らしく生きるとは

 

おれは自分らしく生きるとは、幸せを追求することだと思っている。

幸せを追求することとは、自分がやってみたいと思ったことをなんでもやってみることだと思っている。

 

食べてみたいパンケーキがある。

行ってみたい国がある。

やってみたい事業がある。

 

やってみたいことは何でも良いと思う。 

だからいまおれはやってみたいことをやってみている。