感想:タラレバは過去を否定しいまを無駄にする言葉だからぼくは嫌い
今週のお題「私のタラレバ」
こんにちわ、やっちです。
「もしあのときにこうしていタラ・・・」
「もしあのときにこうしていレバ・・・」
「タラレバ」
おれこの言葉、キライだわ。
タラレバを書くことについて
ぼくはタラレバ話を書くことに「意味がある」とは思えないんです。
むしろタラレバ話を書くことって、自分にすげえマイナスに作用すると思うんですよね。
だって「したら・・・」「していれば・・・」って何の意味も無いじゃないですか。
過去の出来事を変えることはできないし、それを話している時間はなにも生み出さないし。
しかも「タラレバ」を考えることで、考え方がどんどん暗くなっていくと思うんですよ。
過去を思い返して反省することは良いと思うんですけど、それに浸ってばかりいるのはなんかダサいし。
それっていまを生きていない証拠ですよね。
「いま」を生きるということ
ぼくは「いま」を生きるということは「過去の積み重ねを活かす」ことだと思っています。
それと同時に「理想を追求する」という意味もあるんですが。
タラレバというのは過去の積み重ねを否定する言葉で、いまの自分から目を背けています。
タラレバは「いま」という時間や、
「過去」に起こった出来事、
その両方を無意味なものにするのではないでしょうか。
それって人生を無意味なものにしていると思いませんか?
人生を無意味なものにしない方法
じゃあ「タラレバ」を無くせば人生は意味あるものになるの? という話になりますが、
ぼくはその通りだと思います。
「タラタラ、レバレバ」を言わないようにすれば、それをずっと言っている人よりかは好転していくでしょうね。
そこで「あのときの選択があるから、いまの自分がある」と思うようになれば、さらに良いと思います。
例えば「もっとマジメに勉強していれば・・・」と考えてしまう人なら、
「あのときフマジメだったからこそ、いま遊ぶ場所をたくさん知っている」とか
「あのときフマジメだったからこそ、いま必死になれる」と考えられるんではないでしょうか。
逆にずっとマジメで勉強してきた人は「あのときもっと遊んでいれば・・・」と考えているはずですよ。
まとめ「タラレバ」は意味がない
まとめると
・タラレバ話には意味が無い
・タラレバ話は過去を否定し、いまをムダにする
・いまを生きるため、過去を活かす
こういう感じですね。
ぼくは「タラレバ話」を後悔しながら話すということはほとんどしません。
面白がって、話す時はありますけどね。
失敗したときは、ゴリゴリ反省して、
「さて、次はどうしようかな?」
と考えています。
こういう心持ちだと生きていくのが楽しいですよ。