ぼくのスタバでMacに胸を張れるようになるまでの話
「スタバでMacを叩く人たちはきっとなにか特別な仕事をしている人たちなんだ」
と繁華街のショーウィンドウ越しに思っていた大学2回生。
3年前のぼくは、3年後のいまの自分がスタバでMacを叩く側になっているとは思いもしてないだろうな。
そんな変化をふと感じた。
当時大学生のぼくはパソコンすら持っていなかった
いまでこそ、パソコン1台とWi-Fiで(ギリギリの)生活費を稼げるようになったぼくだけれど、
大学入学当初ではパソコンなんて持っていなかった。
課題は実家にあった大きなラップトップでレポートを書いていたし、「USBメモリとはなんぞや」「Amazonで買い物? それは大学生が利用して許されることなのか?」と思っていた。
なかなかのガラパゴス野郎だと思う。
小さな経験談「借金して市バスでMacを打てるようになった」
そんなぼくにも転機が訪れた。
大学の課題がギリギリになってしまい、学校のパソコンルームと、実家の大きなラップトップを往復する羽目を味わった。
ギリギリでその課題は提出できたんだけど、なんだかとてもめんどくさく感じた。
「うん、ノートパソコンを買おう」
そこで学校帰りに京都駅のヨドバシカメラに立ち寄り、丁寧に説明してくれた店員さんの名刺をたくさん(何回も行った)もらい、一週間かけて購入する決意をした。
もろもろで20万円弱(今思うとなんで20万円も?)そんなたくさんのお金はもちあわせていない。
でも決意した。
Mac book Pro 13inch Retina を当時、唯一保有していた(半ば自動的に保有させられていた)ヨドバシのクレジットカードで1年間の分割払いで購入した。
「これで大学に行くまでのバスでレポートが書けるっ!」
ぼくの実家から大学に行くまでの駅へ、バスで45分かかる。
それまでは家でレポートを書いてその後に大学に行っていたけれど、ノートパソコンを持ったことによって、書きかけのレポートをバスの中で書けるようになった。
ある意味、人生で初めてのノマドワークだったのかもしれない。
いまでは仕事をするためにカフェに行くことが増えた
そんなことがきっかけで、ノートパソコンの便利さ、Wi-Fiの必要性、Amazonの便利さ、ネットのことetc・・・を知るようになっていった。
で、タイトルの話。
「あー、今日は外に出る用事があるから、そのあとそのままカフェで仕事を終わらせてしまおうっ」
仕事のため、効率化のため、気分転換のため、胸を張ってスタバでMacを叩く、そんなイマがある。
まとめ 3年後の自分なんて予想できないな
まとめると、
- 大学2回生の頃は「スタバでMacを叩く人」は自分とは違うと思っていた
- めんどくさいと感じたことからスタバ、Mac、Wi-Fiの価値に気付いた
- 胸を張ってスタバでMacが叩けるようになった
この経験を通して思ったのは「3年後の自分なんて予想できないなー」ってこと。
しかもこの「3年後の自分予想無理説」は社会の変化ではなくて、自分の変化に要因があるんだよなーということ。
変えようとしなかったら、変えなくてもよかったことなのかもしれない。
「大学のレポート」は家でも、学校のパソコンルームでもできたから。
でもそこで1週間悩んで、1年間分割払いの借金を背負ってまで、Macを購入した過去の自分を褒めてあげたい。
「おい、過去の自分! お前が悩んで購入したMacは3年後のお前の生活を支えているぞ!」
今日はどこで仕事をしようかな。